今週のお題「ないものねだり」
私は、社会人2年目の19歳です。
今までの生きてきた中で【ないものねだり】の恐ろしさや不思議さについてお話します。
皆さんは、 私はないものねだりだな・・・と感じたことはありますか?
私は、皆さんにあるものだと思います。
最近の話でいうと、私は働き始め学生の頃にはあった夏休みなどの長期的な休みがなくなり、5連休以上の長期的な休みが欲しい…と思っていました。
最近コロナに感染してしまい、10日間の自宅療養となり5連休以上の休みがもらえましたが実際に願いが叶ってしまうと、『5連休以上の長期的な休みが欲しい!!』と強く願っていた感情や思いはいつの間にかなくなってしまっているのです。(薄れた)
よくある例でいうと、喉から手が出るほど欲しいものがあったが実際に手に入れるとその思いや愛着は薄れている。
少なからずこのような経験はあるのではないでしょうか?
私はこのないものねだりが嫌いです。
一瞬のうちに自分の願いが一瞬で消え、自分自身に嘘をついている。という状況に陥っているわけです。
さて、ではなぜないものねだりが起こってしまうのでしょうか?
それは、欲しかったものが手に入ると、持っていることが当たり前になり価値感が手にいれた瞬間に急低下するからだと考えます。
結論・・・欲は手に入れた瞬間から価値が下がりつづけていくものなのです。
(睡眠、食欲、物欲、性欲、禁欲、金欲 etc...)
私はないものねだりが嫌いなのでこの感情に陥りたくないのです。
ではどーすればこの悲しく、寂しく、喪失的な感情にならずに済むのでしょうか?
①欲を持たない
②欲を満たさない(我慢する)
③欲を満たした際の感情をコントロールする
大きくはこの3つだと思います。
なぜそう考えるのか
①欲を持たない
↓
欲を持たなければそもそもないものねだりが100%発生しない。
②欲を満たさない
↓
欲を満たさなければ、思いや愛着は薄れずに維持される、さらに思いや愛着はさらに強くなる。
③欲を満たした際の感情をコントロールする
↓
思いや愛着は薄れる=慣れる、当たり前になる、普通になる。
ないものねだり✖=当たり前だと思わず、特別だと常に思う。
結論・・・ないものねだりになれること自体は素晴らしいこと。とても恵まれている。
欲があり欲が叶っているからこそないものねだりになれている。
でも、勘違いしてはならない。ないものねだりになれていることは決して当たり前なことではない。いつも誰かがあなたの欲を叶えるために動いている。
だが果たしてあなたの欲を叶えるために動いている人は果たしていつまで動いてくれるだろう?
今は当たり前でも未来はわからない。
すべてのことに対して当たり前だと思ってはならない。些細なことでも当たり前だと思はず感謝し続けるべきだと私は思う。
いつの日か、私はないものねだりだと感じないようなそんな素晴らしい者になりたい。